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2024年7月21日 全国高等学校野球選手権3回戦(対津久見)

 これに勝てばベスト8となる重要な試合。1947年に初出場(その時は臼杵中)、1949年の出場を最後に70年近く甲子園より遠ざかっている臼杵高校の3回戦の相手は同じ県南の雄、津久見高校との試合となりました。15:38に試合開始とかなり遅くからのプレイボールとなった試合はタイブレークにまで持ち込む大接戦!約3時間の激闘の末に延長10回4-7で涙をのむこととなりました。

 臼杵高校の先発は生田(2年)先攻の津久見はランナー二三塁の好機を作るとセンター前へタイムリー、0-2といきなり試合が動きます。続く3回にもタイムリー内野安打が飛び出し0-3と序盤は津久見に主導権を握られます。
 臼杵高校もランナーは出すものの盗塁死、併殺打など相手の守備にも阻まれ得点が遠ざかっていましたが4回裏、二死三塁の好機に4番田島。ここで守りに乱れがあり、パスボールで臼杵が1点を返すことに成功し1-3。次の1点が両校重みを増しますが、追加点は津久見でした。点を取られた直後の5回表、二死一塁からタイムリースリーベースを浴び1-4に。生田は踏ん張ってはいましたが、この後を赤峰(2年)に託し赤峰が見事後続を抑えるワンポイントリリーフ、追加点を許しませんでした。

 6回からは1回戦見事に完封を果たしたエースの三浦眞(3年)が登板しました。エースの力投に何とか追いつきたい臼杵は7回裏にドラマが待っていました。先頭打者5番中野(3年)がエラーで出塁、続く白石も内野安打でしぶとく繋ぐと打席には7番兎拂(3年)この時、牽制悪送球で無死一塁三塁に。兎拂はセンターへ犠牲フライを放ち2-4。ここで津久見はエースの投入。バッターがショートゴロで万事休すか?と思われましたが併殺を免れる懸命な走りで二死ながらもランナーは一塁。ここで臼杵は勝負に出ます、ランナーを詫間(3年)に変えるとその詫間が二盗に成功、二死二塁に。バッター三浦眞も四球を選び二死一塁二塁と一打同点のチャンスにバッターは2回戦でも大暴れの1番武生(3年)が左中間へのタイムリースリーベースを放ち4-4と試合を振り出しに。スタンドには野球部以外の生徒やOBなどもつめかけていましたが、武生の同点打にボルテージは最高潮に。スタンド最前列に生徒が集まり喉が枯れんばかりの大声援で臼杵の勝利を応援していました。

 同点で迎えた8回表、内野安打で無死一塁。ライト前ヒットで無死一三塁と勝ち越しのランナーが津久見に更に打順はクリーンナップ。絶体絶命のピンチを救ったのはエースの三浦、気迫のピッチングで打球は三塁邪飛に。同点打を放った武生がしっかりと捕り一死に。続く4番をファーストゴロに3-6-3の併殺を決めまさかの無失点で切り抜けることに成功します。
 互いに決め手を欠いたまま9回を終わりタイブレーク(無死一二塁から再開)にもつれ込んだ10回表津久見はバントで一死二三塁、遊ゴロで二死と無失点も見えた次打者に投げたアウトコースのスライダー。三浦眞はベンチ裏で「決まったと思った。打たれてもフライだと思い『センター!』と声をかけた」と話した打球は伸び、左中間へのタイムリースリーベースになり4-6。続くバッターもセンターへタイムリーを放ち4-7。臼杵は10回裏に一死満塁の好機を作るも得点できず、ここで夢を津久見に託すこととなりました。

2回戦、3回戦と活躍した、武生 空(3年)へのインタビュー
Q.同点機に最高の結果が出ました、どんな気持ちで打席に立った?
A.みんなが繋いでくれた打席なので全力でやるだけでした。打った後もスタンドの応援が気持ちよかった。

Q.同点にした後のピンチ、守りでも助けになりましたがあの時の気持ちは?
A.全部俺のところに飛んで来いと思った。たまたま飛んできたので抑えられて良かったが、なおもスクイズや犠牲フライなどもあるので気を引き締めて守備をすることが出来た。

Q.この試合を振り返って
A.あそこまで行ったら勝ちたかった。今まで支えてくれた人たちに感謝してここまでやれたので良かったと思う。

Q.悔いはないか?
A.ない

Q.本当に?(笑)
A.実は若干はある。(笑)ただやり切った中での試合だったので全部出せていけた。2年生や1年生はこの悔しさをバネに来年甲子園を目指してほしい。