第73回卒業証書授与式の「在校生代表送辞」と「卒業生代表答辞」

   在校生代表送辞

 厳しかった冬の寒さもやわらぎ、一つまた一つと赤いつぼみをほころばせる豊後梅が、春の近さと先輩方と過ごす残り時間の短さを教えてくれました。
 本日、大分舞鶴高校を卒業される七十三回生の皆様、ご卒業おめでとうございます。在校生を代表して、心よりお祝い申し上げます。
「私の記憶の中の先輩方は、行事のたびに全部主役を掻っ攫って行く憧れの人たちでした。」
昨年度、武道スポーツセンターで開催された柏葉祭体育の部。施設を丸ごと貸し切るほどの規模の大きさ、舞鶴らしい競技の数々よりも、閉会式の成績発表のその瞬間を、私は忘れることができずにいます。学年対抗の勝負で圧倒的な力の差を見せつけられ、悔しがる私たちの目の前で、七十二回生にも大差をつけて勝利し、大歓喜する先輩方の姿。もう一年、この学校で過ごしたらあんなふうになれるのだろうか、どうやったらこの人たちに近づくことができるのだろうかと思ったものです。年だって一つしか変わらないのに、私たちの何倍も強くて大きくて、それでいて何をするにも世界一楽しそうな最高の後ろ姿がそこにはありました。思えばこれが、先輩方のためにどうしても送辞を読みたいと思ったきっかけだったのかもしれません。
 私たち七十四回生が、改めて先輩の偉大さを痛感したのは、先輩方が部活や生徒会を引退された直後です。自分たちの代になったらこうしよう、なんて語ったことも忘れて、必死に先輩方がしてきたことをなぞる日々でした。天候にもなんとか恵まれ、予定通りやりきった柏葉祭文化の部。先輩方にとっては、例年以上に思い入れのあるこの行事に、企画という形で関わらせてもらえたことは、とても光栄なことでした。目の前のことにいっぱいいっぱいで、なかなか円滑に進められなかった文化の部を、時に温かく見守り、時に盛大に盛り上げてたくさん助けてくださったこと。どうしてもわからないことを聞きに行った時、お忙しい中、とても丁寧に対応していただいたこと。校内で偶然会えた時は声をかけてくれ、Teamsで全校に連絡を入れた時には、いつも一番にリアクションしてくれた先輩方の優しさの一つひとつに、本当に励まされていました。
 こんなに素敵な方々の後輩でいられる幸せを噛み締める日々は慌ただしく過ぎ去っていき、気がつけば、休日の校舎にはいつも、ロッカーに積み上げられたたくさんの荷物と先輩方の姿がありました。去年は気にも留めなかった些細な変化。先輩方は少しずつ遠い存在になっていきました。あんなに楽しそうに部活をしていた先輩が、朝早くから、昼も放課後もずっと机に向かっている。行事の時のように目立つことはないけれど、毎日の積み重ねを大切にする姿勢こそ舞鶴の伝統であり、目指すべき受験生の姿だと気付かされました。
 そして今日、たくさんのことを教えてくれた先輩方が卒業します。購買に行っても、移動教室でも、掃除に行く時も。もうどこに行っても先輩の姿が見えなくなるのは本当に寂しいです。今まで、私たちの先輩でいてくれて、ありがとうございました。たくさん可愛がってくれてありがとうございました。来年は私たちがこの大分舞鶴高校を盛り上げ、先輩方のように、後輩を温かく支え、見守り、頼られるような三年生になります。学習面でも、受験生としての自覚を持ち、今度は私たちが後輩の目指す背中になれるよう努力を重ねていきます。先輩方が示してくれた目指すべき受験生の姿を、絶対に忘れはしません。
 春になれば、先輩方は全国へ旅立って行かれます。このさき環境が変わり、険しい道を歩く時がまた来たとしても、今まで一緒に頑張ってきた仲間やお世話になった先生方のことを思い出し、どんなことでもその元気と、活力、やる気で乗り越えられる先輩たちだと私たちは知っています。
 春は別れの季節であるとともに、新しい出会いの季節でもあります。生活が大きく変わるその先で、先輩方がまた楽しく元気に過ごせますよう、古今和歌集からこの一首を贈ります。
「見わたせば柳桜をこきまぜて
           都ぞ春の錦なりける」
新たな土地も、住めば都。新生活が華やかなものになりますよう、先輩方のご健康と今後のご活躍をお祈りして送辞といたします。

    令和八年三月一日 
                                 在校生代表 田中陽菜





   卒業生代表答辞

 寒さが残る中にも春の気配が感じられ、陽射しにかすかな温もりを覚える今日、私たち七十三回生は卒業の日を迎えました。
 本日はご多用の中、ご来賓の皆様、そして保護者の皆様にご臨席を賜り、このような盛大な卒業式を挙行していただき、誠にありがとうございます。

 三年前、親元を離れて、福岡からここ大分舞鶴高校に入学することを決心した私は、これから始まる高校生活への期待と不安、そして少しの寂しさを抱えて入学式を迎えました。初めての教室で突然英語で始まったホームルーム。クラスメイトには大分舞鶴初となるフィジー人国際生が二人いることを知り、とても驚いたことを今でも覚えています。
 入学当初の緊張は、教育合宿をきっかけに一気に溶けていきました。同じクラスの仲間とともに山を登り、砂金を探し、学習に励み、校歌を練習する中で、私たちは互いを知り、仲を深めていきました。中でも、感染症拡大の影響で延期され、シン・体育大会という形での開催となった、初めての柏葉祭は強く印象に残っています。一致団結して取り組む貴重な機会を得て、学年としての一体感、そして七十三回生としての自覚が芽生えた瞬間でした。

 二年次は、三年間の中でも最も濃く、これから先の人生において心に残り続ける多くの経験をした一年間でした。優勝を勝ち取り、喜びを分かち合った柏葉祭体育の部。文化の部は台風の影響で短縮開催となりましたが、七十三回生が中心となって、随所で活躍し、各団体が高校最後にふさわしい完成度の発表を成し遂げました。
 そして舞鶴高校にとって、コロナ後初となる海外への修学旅行。多くの生徒が初めてベトナムの地を踏みました。日本とは異なる文化や歴史、学校生活を実際に体験することで、多くの刺激を得ることができました。仲間と共有したすべての時間、行き帰りの飛行機やバスの移動時間でさえ、今も鮮明に心に残る、かけがえのない思い出となっています。

 部活動では世代交代が行われ、先輩に導かれる立場から、自らが仲間を率いる立場へ。新体制となり、思うように物事が進まず、思い悩む日々が続きました。私自身、全国レベルの先輩方が抜け、その差を埋め、追い越すことができるのか不安を感じる時期が長くありました。しかし、そんな時にも仲間が大きな力となりました。悩みを共有し、励ましあえる仲間と、それぞれの場所で、試行錯誤を重ねる中で、次第にどの部活も七十三回生らしいチームとなり、自分たちの力を発揮する準備が整いました。

 そしてあらゆる物事に「高校最後」という言葉が付き、新たなステージへ進むための勝負の年となる三年生となりました。
 まず山場を迎えたのは部活動です。自分たちが掲げた目標を達成する最後の機会。その目標に届いた人も、残念ながら届かずに涙した人もいました。三年間をかけて仲間と全力で臨んできたからこそ、勝利の喜びも敗北の悔しさも共有することができたのだと思います。

 受験勉強が本格的になる中、行事は数少ない心の支えとなりました。特に、この三年間で初めて短縮などの制限なく開催された柏葉祭。体育の部では各競技でも応援でも、七十三+回生の絆を思う存分に発揮し、二年連続優勝の記録を樹立しました。
 文化の部では、後輩たちの洗練された演技やパフォーマンスに驚き、私たちの三年生のために転勤された先生方から集めてくれたメッセージには胸が熱くなり、後輩たちの思いに感動しました。

 私たちの最後の行事は舞鶴高校伝統のドラゴンボート。友人とボートに乗るのはベトナムの川下り以来二回目でした。しかし、ベトナムの時とは違い、大勢のメンバーで息を合わせてスピードを上げるドラゴンボートは難易度が高く、転倒してびしょ濡れになるクラスもありました。最後のレースはどのクラスが優勝するのかわからない白熱した接戦で、各クラスの声援と笑い声が最後まで大分川に響いていました。

 誰もが心から楽しむことのできた時間を終え、再び受験に向けて勉強に打ち込む日々。その日々は決して楽なものではありませんでした。自分の苦手と向き合ったり、思うように成績が伸びなかったり、現実から目を背けたくなる日も何度となくある。この時初めて「勉強と部活は同じ」という言葉の本当の意味が理解できました。私たちはつまずき、転びながらも、歩みを止めることなく、ともに前進し、努力を続けました。

 そして「その日」は確かに来ました。
 迎えた共通テスト。その日の緊張感は私には覚えがあるものでした。全国大会の雰囲気。覚悟を決めた七十三回生の顔は、とても頼もしく、かっこよく見えました。

 私は舞鶴高校での三年間を通して、「挑戦」と「継続」の大切さに気付くことができました。
 一年次、周囲との学力の差を痛感するたびに、自分で自分の限界を決めつけ、「できなくても仕方がない」と、諦めていました。部活動においても、私より強い選手ばかりの中で萎縮し、周囲からの評価を下げないためのプレーをしていたように思います。
 そんな中、転機は、二年次の県総体にやってきました。個人戦、団体戦ともに、全国大会への切符を先輩や後輩に奪われたとき、これは、これまで自分が「挑戦」を避け、「現状維持」を選び続けたことの結果だと気づいたのです。

 それ以降、私は「挑戦」するようになりました。勉学では、苦手であった英語に積極的に向き合い、部活動でも、自分の成長のために、日々の練習で課題を意識しながら取り組みました。大きな挑戦から小さな挑戦まで、数多くの挑戦を重ねたことで、私は自分が変わっていく実感を得ました。
 「挑戦」は次の段階、「継続」へ。継続とは、挑戦があってこそ成り立つと思います。そして、それを怠れば、せっかく得た経験や成果は次第に薄れ、やがて失われてしまいます。だからこそ私は、継続することを心がけました。毎日単語帳を開き、毎日自主練習を続け、地道な努力を積み重ねました。しかし、継続したからといって、英単語の意味を思い出せない、満足いくプレーはできない。・・・結果がすぐに表れるわけではありませんでした。

 それでも「継続」・・・。その時は不意に訪れました。最後のインターハイ。団体戦で三位という悔しい結果の後に迎えた個人戦。格上の相手ばかりでしたが、これまでの「挑戦」と「継続」は「自信」へと進化していました。最後まで自分を信じて戦い抜いた結果、ベスト8、そして国スポでは、全国優勝という大きな結果を残すことができました。そのとき初めて、自分が続けてきた努力が報われたと感じました。

 誰しもが多くの努力を重ねながらも、うまくいかなかった経験をしているはずです。しかし私は、舞鶴高校で、努力は必ず報われると学びました。努力が報われる形や時期を自分で選ぶことはできません。それでも、努力はいつか必ず形となって現れ、「努力してよかった」と思える日が訪れると、今なら確信をもって言えます。自分を信じて歩み続ければ、失敗はやがて成功の一部へと塗り替えられていきます。だからこそ、たとえ挫折しても、自分を信じ、挑戦を続けることには意味があるのだと思います。

 今、卒業の日に振り返ってみると、これこそが舞鶴魂、しまれ、がんばれ、ねばれ、おしきれ、だったのではないかと思います。知らず知らずのうちに、舞鶴魂は私の中に深く根付き、その精神を体現するように行動していたのだと。きっとこの舞鶴魂は七十三回生はすでに持っていて、そして後輩たち、みんなの中にも根付き始めていると思います。

 両親へ。
 これまで挑戦し続けられたのは両親の支えがあってこそだと、感謝の気持ちで一杯です。十八年間、挫折して悩んだとき、苦しいとき、いつも助けてくれてありがとう。いつも福岡からみんなで応援にかけつけてくれてありがとう。そして、様々な挑戦を肯定してくれてありがとう。この学校、友達、先生方と出会い、成長することができたのは二人のおかげです。これからも多くの迷惑をかけてしまうと思うけど、それを倍にして恩返しする予定なので許してください。

 私たちはこの三年間を「一生燃焼、一生感動、一生不悟」を学年目標として、多くの先生方に支えられて過ごしてきました。先生方、本当にありがとうございました。
 これからは自分たちで「一生」の後に続く二文字を考え、自分たちの足で進んでいきます。

 七十三回生の皆さん、これからそれぞれの場所で「挑戦」を続け、いつかそれぞれの「一生○○」を持って笑顔で会いましょう。

 最後になりましたが、私たちを応援してくださった全ての方々に改めて御礼を申し上げるとともに、これからも挑戦し続けることをここに誓い、答辞とさせていただきます。

    令和八年三月一日   
                          七十三回生 卒業生代表 安藤大和