学校案内
大分県埋蔵文化財センター学芸員の染矢和徳氏をお迎えして、中世後半から近世後期までヨーロッパで作成された地図と中世大友府内町遺跡の研究成果を通して、大友宗麟の外交政策を学ぶ内容を講演していただきました。
染矢氏は16世紀初めと中頃にポルトガルで描かれた地図を比較して、ヨーロッパ人にとって、はじめは未知の領域であったアジアだったが、のちに西日本が重要な地になった経緯と理由を説明されました。次に、別の16世紀中頃ポルトガル領で描かれた地図に「BVMGVO」「FVNAI」と、16世紀末にオランダで描かれた地図には「BVNGO」「Funay」など現在の大分県の地名などが書かれていました。発掘中の中世大友府内町跡から出土した中国や東南アジア、ヨーロッパ系の遺物などと一緒に見ると、当時の豊後府内は大友宗麟の手腕により国際都市だったことがわかり、豊後府内が教科書にも出ている根拠が理解できました。その後17世紀以降の地図を見て、ヨーロッパ諸国の関心は東日本や東アジアに移った様子も理解できました。染矢氏が「教科書のここに書いている背景はこういう意味です。」と地図を紹介するたびに教科書内容の根拠を解説していただいたので、生徒たちは背景と関連付けて理解することができました。
最後に染矢氏は、「大友宗麟が見ていた世界は豊後の後方に京都があり、前には東シナ海・南シナ海、朝鮮・中国・東南アジア・インド・ヨーロッパと広がっていたと考えられます。宗麟がアジア人・東シナ海人、東シナ海と南シナ海あわせてシナ海人としての感覚を持ち、他者を理解する態度、広い視点を持ってものを見ていたことを皆さんも学んでほしい。」、「今お話しした内容は数年前に大分西高校の生徒がまとめた論文からです。」と生徒に伝えてくれました。
今後とも大分県埋蔵文化財センターの方々にご協力をいただきながら、郷土の歴史を学ぶことを通して、教科書内容の深い理解と現在に繋がるものの見方考え方の育成をはかる取り組みを行っていきたいと思います。