2学期 終業式 式辞

令和5年度の第2学期の終業式に際して、式辞を述べます。
最も長かった2学期が終わろうとしています。コロナも明け、校歌を歌う機会も増えて来ました。今日は、本校の校歌について話して見ることにします。
                                                                    
まず、Teamで、本校の校歌の歌詞を確認してください。タブレットを持っていない人は、電子黒板にも映しますので、参考にしてください。
担当の先生はこちらの合図の後、校歌を流してください。1回のみですので、集中してください。先生方も同様の活動をお願います。
               
理解が難しい部分がありましたか?
ぼくなりに考えてみると、「英彦」、「独立自尊」などは難しいかもしれませんが、ネットで検索できますので今日は割愛します。
この歌詞の中で最も難解なのは「扇は開く爽やかに」の部分だと思います。
             
この部分の説明には、本校を巡るもう一つの謎の解明が必要です。
それは、本校の校名、「中津北」に関係する謎です。
中津北と中津南の校名が逆ではないかという、以前からの指摘があります。
資料の地図を見てみましょう。
中津市内には、中津南高校もありますが、現在の所在地を見ると、どう見ても「中津北」の方が南側にあることになります。
                      
さて、ここで本校の歴史を概観します。
本校の前身、中津女学校は明治44年(1911年)に設立。今から、112年前のことです。
校舎は現在の中津城公園の隣、中津城公園が分からない人は、小幡記念図書館や中津歴史博物館の近くだと考えてください。
ここで、地図を確認することにします。この時点では、中津北高校が中津南高校より北側にあることが分かります。
現在の校名の中津北は、112年前の位置関係から付けられていたのです。
                   
次に、校歌の歌詞「扇は開く爽やかに」の部分の読解に移ります。
現在の校歌ができたのは昭和28年(1953年)。今から70年前のことです。
この年には、まだ中津城公園に校舎はありました。
                    
そして、校舎の隣にあったのが当然、中津城です。この中津城の別名が扇城、現在もお店の名前等に使われている場合がありますが、あれも中津城の別名、扇城が由来です。中津城を上から見ると、扇形に見えることからこの別名が付いたということです。
                 
ここで、校歌の歌詞に戻ると「沖代平野の朝風に 扇は開く 爽やかに」
これをぼくなりに口語訳すると、沖代平野から吹いてくる朝風に呼応するように、別名扇城と言われる中津城も開いていく=中津城に象徴される中津北高校の活動も始まっていく。
                   
本校の校歌はなかなか優れた校歌だと思います。ぼくは特に、3番の「福澤精神受けつぎて ああ 独立自尊の中津北高校」が気に入っています。
「独立自尊」とは、「主体性・自主性」のことだと思いますが、それに加えて「プライド」ということも言っているのだと思います。
今後は、中津城の隣に存在していた、中津北高校の校舎にも思いを馳せながら、校歌を歌ってほしいと思います。