末永仁(すえながめぐむ)を知っていますか?
|
|
|
|
玄関横に置かれている末永仁氏の胸像
|
|
|
|
|
本校の玄関を入ってすぐ左手に、胸像が置かれているのをご存じでしょうか。三重農業高校時代からのもので、台湾の人々から「蓬莱米の母」と称されている、末永仁(すえながむぐむ)氏の像です。胸像の台座に記されている氏の功績についてご紹介します。
「蓬莱米の母 末永仁胸像」
末永仁(すえながめぐむ)は、明治19年(1886)福岡縣に生まれ、大分県立三重農業高等学校の前身である大分縣立農学校農学科に学び明治36年(1903)に卒業しました。
明治43年(1910)、24歳で「台湾の農民のために台湾米を改良したい」との志を抱いて台湾に渡りました。
台湾農民の苦しい生活に接して、台湾米を日本本土に輸出できる換金性の高い米に改良するため、蓬莱米の父とされる磯永吉博士とともに台湾適作米の改良に着手、在来米(インディカ種)と日本米(ジャポニカ種)の交配育種に取り組みました。
大正10年(1921)、ついに台湾の気候に堪え、収量、耐病性、味ともに優れた画期的な品種「台中65号株」(後に台湾総督より「蓬莱米」と名付けられました。)の開発に成功、栽培法の変革「若苗法」の普及と相俟って収量は倍増し、農民の収入・生活水準を著しく向上させました。
その後も「蓬莱米」の普及に尽力しましたが、昭和14年(1939)、台中農事試験場の水田内で指導中に倒れ、惜しくも53歳の生涯を閉じました。台湾の人々は、今日もなお、末永仁を「蓬莱米の母」としてその功績を称えています。(平成25年10月)
本校ゆかりの先人として、他国の人々のために力を尽くした方がいらっしゃったことを、生徒にもしっかりと伝えていきたいと思います。