
学校からのお知らせ

令和3年度入学式・校長式辞
2021年04月09日
式辞
桜の満開の時期は過ぎたものの、吹く風に春の香りの漂う本日、同窓会顧問 諌山洋介さま、PTA会長 宮崎豊史さまにご臨席いただき、そして、多くの保護者の方々に出席いただき、大分県立日田林工高等学校の入学式を実施できますことに、まずは深く感謝申し上げます。
ただいま、入学を許可いたしました136名の新入生の皆さん、ご入学まことにおめでとうございます。本校は、今年10月1日に創立120周年を迎える伝統校です。本校の創立は1901年、明治34年です。1895年が日清戦争、1905年が日露戦争ですから、この大きな戦争のはざまに本校は開校したのです。多くのものはお金で手に入れることができますが、貴重ないくつかのものは、お金では買えません。これを「かけがえのない」と表現しますが、「かけがえのない」ものの一つが、時間の累積、「歴史」です。
さて、皆さんは勉強をするために、そして学ぶために本校に入学したわけですが、「学ぶ」ことの意味をどのように捉えていますか。あなたは、なぜ学ぶのでしょうか。たとえば、ここに、味は同じで身体に良い食べ物と身体に良くないものがあったとします。皆さんはどちらを選びますか。当然、身体に良いものを選びますね。よく言われるように、「からだは食べたものでできている」わけですから、我々はからだに良いものを選ぶのです。それでは、人間のあたま、ここでは思考や判断や行動のことを言います。人間のあたまは何でできているか。それは、学んだものでできています。人間のからだが、食べたものでできているように、人間のあたま、思考や判断や行動は学んだものでできている。より良い食べ物が人間のからだを健康にし、より良い学びは人間のあたまを健やかにそして柔らかくしてくれます。
そして、健やかで柔らかいあたまは人生にどのような影響を及ぼすのでしょうか。学びによって得られた健やかで柔らかいあたま、思考や判断や行動は人生に何をもたらすのか。学びがもたらす健やかで柔らかいあたまは、人生をその人自身のものにしてくれます。もちろん、人生がその人のものであるのは当たり前なのですが、自分自身の人生を本当の意味で自分で生きることは案外難しいことです。我々は毎日、さまざまなことを考えながら、そして、判断しながら生きています。その一つひとつを自分自身で行う。誰かに任せたり、常識に流されたり、偏見にとらわれたりしない。自分で考え、自分で判断し、自分で行動する。それらの一つひとつの積み重ねが生きるということです。
「人生100年時代」と言われます。君たちは、確実に100年生きることでしょう。今からの85年を想像してみてください。そこには、さまざまな選択や判断が待っています。どこに就職するのか、誰と結婚するのか、そもそも結婚はするべきなのか、どこに住むのか、選挙には行くべきなのか、自分が社会に対してできることは何か……。さまざまなそしてややこしい選択や判断が人生には待ち受けていますし、毎日がその連続なのだと思います。そして、それらの一つひとつを自分自身で行っていくこと、その積み重ねが生きていくことだとぼくは思っています。生きていくということは、遠い先にあるのではない、今、ここにあります。そして、その思考や判断や選択のためには健やかで柔らかいあたまが必要で、そのためには学ぶことが不可欠なのです。いわゆる重要事項を覚えこむだけではなく、授業の中で、部活動の中で、生徒会活動の中で、生活のあらゆる場面で自分自身で考え尽くすこと、そして、学びの基本である、本を読むこと、これらの積み重ねがあなたの人生をあなた自身の人生に、そして豊かな人生にするはずです。
本日、ご出席の保護者の皆さま、本校へのご入学、まことにおめでとうございます。今申し上げたように、本校では、生徒たちの豊かな人生のためにさまざまな教育活動を行ってまいります。どうかご理解とご協力をいただきますようお願い申し上げます。また、教育活動に対するご質問やご意見につきましては、いつでもお寄せいただきますようお願いします。特に、学校生活の基本は、生徒一人ひとりの安全安心です。学校生活における困りごとなどございましたら、すぐにお知らせください。それでは、新入生の3年間が豊かな学びと多彩な活動、そして多くの感動に満ち溢れることを祈念して、式辞を終わります。
令和3年4月9日
大分県立日田林工高等学校 校長 清永 伸一