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校長室

認識と言葉の数
2015年04月20日

                          認識と言葉の数

 

 いよいよ、平成27年度の新学期が始まりました。さあ、皆さん勉学に頑張っていきましょう。そこで、昨年度3学期の終業式に上級生の皆さんにお話しした、「認識と言葉の数」について改めて考えてみます。

 この話は、昨年度の学校図書館協議会の表彰式のときに会長が冒頭の挨拶で述べられたものです。曰く「われわれが風景などを認識する場合、その認識の深さはその人が持っている言葉の数に比例するのではないか」と。会長は「だから読書が大切なんだ」ということに結びつけたかったものと思われます。私は、この話は皆さんにとって大切な話だと思いました。

 芸術を専門に学んでいる皆さんにとっても、芸術以外の様々な知識が言葉となって蓄積されていけば、その蓄積の多い人ほど自然や風景や人や人の心を表現する際に深い芸術表現が可能になる、ということではないでしょうか。私がどんなに多くの知識を得多くの言葉を習得したとしても、私が絵画の世界でたとえばピカソに勝てるということはあり得ないでしょう。しかし、千の言葉しか知らない私より十万百万という言葉を習得した私の方が、同じ風景を認識するとしても、その認識は百倍千倍に深まることは間違いないものと思います。

 具体的な例をあげると、私も古文書の研究をしますので、日本の伝統色の言葉も勉強したりしているのですが、その勉強で自分が黒と思っていた色を、昔の人は四つ位に分けて認識していたことを知りました。純粋な黒に対して、少し灰色が入った黒を墨色(すみいろ・Charcoal Gray)あるいは墨染(すみぞめ)と言っています。少し赤みのかかった黒を檳榔子染(びんろうじぞめ・African Brown)と言い、少し青みがかった黒を藍墨茶(あいすみちゃ・Dark Slate)と言っています。私はこの言葉を知る前は、たとえば着物でそれらの色が使われていても全く区別をせず皆黒と思っていました。しかし、これらの言葉を覚えてからは、その差がはっきりとわかるようになりました。ちなみに紫がかった黒を黒紅(くろべに・Dusky Purple)あるいは黒紅梅(くろこうばい)と言うようですが、これは私には初めから深い紫に見えました。色彩検定を勉強している美術科の皆さんには何を今更という話かも知れませんね。

 音楽でもたとえばテンポの認識は言葉で行われますよね。ラルゴ・アンダンテ・モデラート・アレグロ・プレストと言ったら、音楽科の皆さんはそれぞれの言葉を聞いて大体のテンポを合わせることが出来るのでしょう。私は昔ラルゴという名前の車に乗っていたのですが、よく考えれば、車の名前としてはいかがなものか、ですね。せめてラルゲットにして欲しかったと思います。アンダンテ(歩くように)という名前の車があったらラルゴよりまだましなものの、それも笑ってしまいますね。勿論テンポとスピードは別の概念ではありますが。

 ところで、皆さんは風景画で水平線を描いたことが一度と言わずあると思います。その水平線に関して、北陸で製塩業をしている人にインタビューをした話というのをラジオでやっていました。その人は半世紀近くも日本海を眺めてきて、今では水平線を見るだけで明日の天気がわかるというのです。空と海との接線は、確かに日によって様々に見えます。シャープにくっきりしているとき、白くぼんやりとしているとき、はたまた黒いとき。あるいは、遠くの景色が浮き上がって見えるとき。そのような微妙な差異を見逃さずに明日の天気予測に結びつけることができるのですね。ところが、このことを説明する言葉がなければ、我々が同じ感覚・認識を習得するのに、やはり同じ歳月が必要になるでしょう。しかし、それぞれの特徴がその呼び名と共に整理され言葉からも学ぶことができたら、その認識をたとえば5年とかで修得できる様になるかも知れません。すなわち、言葉を学ぶということは先人の知恵・認識を短い時間で修得することでもあるのです。

 水平線を見て明日の天気がわかるようになったら、君たちはその水平線を描き分けることで、明日という日を雨にでも晴れにでもすることが出来るようになるのです。ステキなことですね。多くの言葉の習得につながるいろいろな分野の学びが、芸術の世界でも大切になるということを、しっかりと理解してください。

 

                                                     大分県立芸術緑丘高等学校

                                                           校長 平 井  義 人