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校長室

他人に恥ずかしがること莫れ
2014年04月16日


                              他人に恥かしがる莫れ


 平成26年度の始業式・入学式が終わりました。いよいよ新しい年度が始まりましたね。新入生の皆さん、芸術緑丘高校へようこそ。今日は、始業式や入学式でお話しした正岡子規の言葉について取り上げます。
 私がそもそも正岡子規について取り上げたくなったのは、以前上級生にお話しした樋口一葉の「奇跡の14ヶ月」がきっかけです。肺結核で苦しんだ人生の終末期にあって、一葉が「たけくらべ」など10の代表作をたった14ヶ月という短い期間で書き上げたということを知ったとき、同じ肺結核で亡くなった正岡子規は同じ最晩年をどのように過ごしたのだろうかということにすごく興味を持ち、私は子規の随筆等を読みあさってみました。
 正岡子規の随筆には、「墨汁一滴」「病床六尺」「仰臥漫録」などがあります。それらを読んでいてひとつ気づいたことが、子規の晩年は、病床から見える小さな自然をスケッチする日々だったということ。その中で、何度も何度も何度も、微妙な色を再現するために絵の具を混ぜ合わせる作業を繰り返し、自然の作り出す色に感動していたのです。余命わずかであることを自覚していた子規が、その大切な時間をスケッチに没頭したのは何故だったのでしょうか。私は、病気の苦しさを紛らわすだけが理由ではなかったと思うのです。
 そのようなことを思いつつ子規の作品を読んでいくうちに、読書は随筆以外の作品にも及び「俳諧大要」の第五章修学第一期に書かれていた以下の文章にたどり着きました。私はこのこと言葉に出会って、ものすごい感動を覚えました。

「俳句をものせんと思はば、思ふままをものすべし。功を求むる莫(な)かれ、拙を蔽(おほ)ふ莫(な)かれ、他人に恥かしがる莫(な)かれ」

この言葉は俳句だけでなく芸術全般にもあてはまるものと考えます。すなわち、「評価されることばかりを求めて自分を見失ってはいけない。自分の拙(つたな)い部分を恥ずかしがって隠すようなことはせずに、素直に・堂々と学ぶ姿勢を忘れるな。」と言っているのです。また、冒頭の「思ふままをものすべし」にも注目しなければなりません。私はこの冒頭を「感性のままに表現せよ」という意味に理解します。功・拙・恥に歪められない「思ふまま」ですから。
 ところで、感性はどうやったら磨かれるのでしょうか。その答えの一つが、先ほどのスケッチだったのではないでしょうか。目に見える世界を正確にとらえようとするスケッチという行為は、絵を描く人だけではなく歌人・俳人にとっても大切な行為だったと思えてなりません。そして、それは芸術全般にも言えるかも知れません。たとえば、スケッチに限りませんが作曲家の中で絵を描いたことで知られる人もいます。アルノルト・シェーンベルクは弟子のアルバン・ベルクの肖像画等の絵を遺していますし、画家としての名声もある作曲家アルトゥール・ルリエなどの存在もあります。今度アルゲリッチ音楽祭にやってくるヴァイオリニストのギドン・クレメルがルリエの曲を演奏し、再評価に貢献していますね。
 皆さんは学校生活を過ごす中で、周囲のクラスメートの水準の高さに圧倒されて萎縮してしまう自分に出会うかも知れません。そんなときには、この言葉を思い出して、堂々と胸をはって自分の拙い部分を隠さずに、伸びやかに学ぶことを忘れないでください。たとえ拙いとしても、そこには皆さんの個性こそが宿っているはずなのです。
 ただし、拙さに居直ってはいけないということは、言うまでもありませんね。

                                                                                        校長 平井 義人