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学校からのお知らせ

「残っているものは愛だけなのだ」~第55回大分県読書感想文コンクール優秀賞受賞作品の紹介
2016年12月02日

 

 平成28年度、第55回大分県読書感想文コンクールの受賞が決まりました。本年度は、優秀賞を3名が受賞致しました。

 高橋凜太郎さん(一年)、片岡桃音さん(一年)、後藤駿介さん(二年)が優秀賞、

 また、田中航さん(三年)は優良賞を受賞致しました。

 優秀賞の三作品の一部をそれぞれ抜粋し、紹介します。

 

当たり前すぎて気づかないもの       1年      片岡 桃音

                               ~『こんなにも優しい、世界の終わりかた』市川拓司著を読んで~

 

 終わりを前に、あと残っているものは愛だけなのだ。これを、違う言い方で言ってみるなら、全てのものの中心にあるもの、最後の砦のようになるものは愛なのだ。ここで言う愛は、恋人だけに使われるものではなく、家族、友人、物などにも言える全てを指した。どんな形の愛であれ、誰の心にでもあると思い知らされた。

 では、世界の終わりが迫っているくらい追いつめられなければ、人は愛の存在を知ることはできないのだろうか。私は、これこそこの本が訴えている核となるものなのではないかと考える。私たちが普段生活している今という時間の中で、愛は当たり前にすぐ隣にある。ただ、ここで問題なのは、当たり前に、ということだ。当たり前すぎてほとんどの人がそれを目でとらえようとしない。だからこそ、その現実に気づかせるためにこの本があるのではないだろうか。あまりにも優しすぎるこの物語に、私はそう思えてならない。

 ・・・

 私がこの本から学んだこと。それは時間は有限であるということだ。だからこそ、私たちは遅くないうちに愛の存在に気づき、自分の思いのままに動かなければならないのである。この物語で手遅れにならなかったのは、終わりに気づけたからだ。しかし、現実はそうはいかない。その瞬間が来るまで終わりは姿を見せてくれない。ならば、今その覚悟を持ち、行動する以外に方法はないではないか。まわりに左右され、愛の存在に気づかないまま過ごしていたなら、最後にそれに気づいた時に必ず後悔する。だから私はまず、大切な人に感謝することからはじめようと思う。

 

生きるとは               1年      高橋 凜太郎

                            ~『読んでおきたいベスト集!太宰治より「人間失格」』別冊宝島編集部~

 

 では、生きるとはどういうことなのか。一人の人間として、人間らしく生きるには何が必要なのであろうか。それは目標である。そう私は考えた。たとえ自分という存在について分からなくても、何か一つ、どんなことでも良いから目標を持つ。その目標は、今日のことでも明日のことでも、一週間、一ヶ月、一年、はたまた何十年先のことでも良いように思える。それさえできれば、自分の方向性が決まってくる。そして、その目標を達成するために少しずつ努力をする。それらの積み重ねによって人間らしさが形成され、生きるということに繋がるのではないだろうか。葉造も、何か一つでも目標を持っていれば変わったのではないか。感情が分からないことを不安に思い道化を極めたとしても、何か目標を心に秘めていれば、狂人になる、つまり「人間失格」という段階まで堕落することは無かったのかもしれない。

 私は最近、新しいことに挑戦するという目標を持った。それはとても陳腐で漠然としている。しかし、それでも良いのではと私は思う。高校に入学し、一つだけ失敗をしたことに後悔する気持ちは未だ残っている。だが、そのままの空虚な人間でいるだけでは、やがて私も堕落し葉造のような狂人となってしまうだろう。そうならないためにも、私は目標を持ったのだ。まだ具体的な目標を見つけていないからこそ、今までしたことも無いような新しいことに次々挑戦していく。そして、日々を生きていく。そうすることでいずれかは、生涯の方向性を決める程の具体的な目標に出会えるのではないか、と私は考えた。この目標がいつ達成できるかは分からない。しかしそれでも、これが今の私にできる唯一のことであり、今の私が最もすべきことなのだ。

 

「一日」の価値             2年 後藤 駿介

                                          ~『君の膵臓を食べたい』住野よる著を読んで~

 

 かけがえのない一日というものは、普段自分が気付かない「一日」に隠れているものだ。自分の帰る家がある。自分の眠るベッドがある。満足に三食摂れるし、学校の教室で仲間達と勉強できる。部活で自分の目標に向かって好きなことに打ち込める。全て毎日の生活にありふれているものであり、それと同時に当たり前には存在しないものである。普段あまり気に留めることがない「一日」の価値は、実はこれらが構成していると言ったら言い過ぎだろうか。

 よく「一日が四十八時間あれば良いのに」という言葉を耳にする。「生まれ変わったらああなりたい」といって、後生の話をする人もいる。人間は欲しがる生き物だから仕方ないと言われればそこまでだが、足りないものを求め過ぎてかけがえのないもののありがたみを忘れてしまうのはいかがなものだろう。約束された明日なんてない。限りある時間、限りある命にはいつか終わりが来るものだ。だからこそ今与えられた一瞬一瞬を懸命に自分らしく生きる。好きなことをして、好きな人に会って、好きな自分とひたすら向き合う。こうすることで、やっと確信できるのだ。それぞれの価値ある「一日」を。